ikeda asako

diary

2021年11月1日(月)

2022年墨象カレンダー

[diary]

2022年の墨象カレンダーを作りました。

二作品を除いて今年制作したもので、 何を書いているでもない、文字の約束から離れ自己を解放しているある日の筆跡です。

現在のところ日本での取り扱いは、ブックギャラリー・ポポタム(東京)と、これまで3度展示をさせていただいている雑貨ギャラリー・Kit(京都)です。

このHPからも承りますので、ご希望の方がいらっしゃいましたら、メールフォームからご連絡いただければお送りいたします。

(価格1320円+送料)

休みは韓国のカレンダーに合わせているため、日本でお使いの場合は〇や色などをつけてお楽しみください。

デザインは、美術家でもあり、韓国で多数の装丁を手掛けている전용완(チョン・ヨンワン)さんです。いくつものグラフィックデザインのお仕事を拝見し、その余白使いの美しさから、ぜひお願いしたいと思いました。

下記はヨンワンさんが手掛けられた茨木のり子さんの詩集です。

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2021年3月1日(月)

一年

[diary]

ガラガラの成田空港搭乗カウンター。この時は一年以上も日本に帰れなくなるなんて想像すらできず、プールみたいだな~~と呑気に眺めていた。

最後に日本に行ってから一年が経ってしまった。

いつものように小松発着の大韓航空を利用して2020年3月1日(日)に故郷に降り立った。ここ2年ほどは2,3か月に一度のペースで単身で帰っていたけれど、今回は珍しく夫も一緒に。そして、金沢に旅行に行くという韓国人の友人Rちゃんとそのお友達もたまたま同じ便だった。彼女たちはコロナのことで寸前まで日本行きを悩んでいたけれど、結局予定通り動いたのだった。今思えば、この機会を逃していたらしばらく海外には行けなかっただろうから、二泊三日の旅行を決行してよかったと思う。

せっかくの機会なので、旅行者は車がないとなかなか行けない金沢市郊外のカレー屋「シエスタ」さんで一緒に食事をした。その後彼女たちとは別行動。Rちゃんは3度目の金沢なので慣れたもの。お気に入りの店に出かけて行った。

夜、私と夫は楽しみにしていた友部正人さんのライブ(at じょーの箱)へ。大阪のライブハウスで集団感染が起きた後だったため、キャンセルが相次ぎ観客は多くはなかった。

一曲目は「カノン」のカヴァーだった。カノンは遠藤ミチロウさんの曲。2019年に昇天したミチロウさんを弔うようにライブは始まった。2017年に雨乃日珈琲店ライブをしてくださった愛してやまないミチロウさん。2018年、帰省の際に小松のライブハウスにも足を運んだ。観客は10数名しかいなかったけど、病をおして臨んでるとは思えないほど力強く熱量高い2時間だった。終演後にお話をした際にまたソウルでライブがしたい、今度はバンドで行きたい(おそらくTHE ENDのことだと思う)っておっしゃてたのが印象的だった。

そんなことを思い出しながら聞いたカノン。友部さんの代表曲のひとつ「一本道」も沁みた。ライブの帰り道、夫は「マオリの女」の歌詞が印象的だったと言っていたことがずっと記憶に残っている。

夫は故郷へ行き、私は金沢に残り買い物や雑務をしながら10日程過ごす予定が、日韓の入国制限が突然発表され、帰りの小松便が休止になり、日程も空港も二転三転、入国制限施行の前日にガラガラの成田空港から一人バタバタとソウルに戻って来た。夫もその前日になんとかソウルへ。

あれから1年。

こんなにも日本に帰らなかったこと、こんなにも長く日本の家族に会っていないことは初めてだ。

使っていた故郷の調味料が切れてしまったとか、美味しい金沢の魚が食べたいとか、そんなことはどうでもいいけれど、早く大切な人に会いたい。(でもやっぱりお魚も食べたい)

とはいえ毎日しょげているわけではなく、変わらずに韓国生活を楽しんでいるし、最近は防疫段階も下がり、店がとても忙しい。隙あらば筆を持ち、充実した時間を過ごしている。高揚はしているけれど、たまに落ち込む。そんな日々。

家から店に行くまでに大きな道路を渡らなければならない。信号待ちは3分程。ぼうっとしている毎日のこの時間を全て合わせたらいったい何時間になるのだろう。大切な人に会う時間に変えられないかな。叶わぬ計算ばかりするようになった。

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2021年2月27日(土)

『暮しの手帖』に寄稿しました。

[diary]

現在発売中の『暮しの手帖』5世紀10号に寄稿しました。

機会をいただいたのは、「住む国変われば」という、外国に住む日本出身者が、暮らしの中で感じる日本と異なる点を執筆する短期連載。書き手が毎号変わるこの連載を、同じ環境の私も楽しみに読んでいたので、お話をいただいた時は驚きました。

同誌連載の「また旅。」の題字を揮毫した時もそうでしたが、長く丁寧に編まれている歴史ある雑誌の一端を担うことへの不安と光栄な気持ち。揺れ揺れの心を、担当の敏腕編集者さんががっしりとアシストしてくださいました。まだお会いしたことはないでけれど、やりとりは楽しく、以前から知っている方のように近く感じたほどでした。

韓国のスピード感、熱量、お金のこと、掻い摘んだ感じではありますが、機会があればぜひお手にとって、異国暮らしの一片をご覧いただけたらと思います。

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2020年12月29日(火)

趙鐵山

[diary]

線がまだまだです。

防疫強化措置として、カフェはテイクアウトしか受けれないため、11月下旬から店を週4日閉め、週末のみ営業している。よって、時間がたっぷりできた。臨書、臨書!とにかく臨書がしたい。してはいるけど足りていない。疲れ果てるまで筆を走らせ吸収したい。ということで、随分前に師匠に勧められた、趙鐵山の篆書を書き始めた。

法帖は韓国では見つけられず、日本の中国書籍専門の店で購入。それほどメジャーではない趙鐵山をなぜ選ばれたのだろう(聞き忘れてしまった)。

3月に日本に行った際に実家を整理していたら、10年以上程前にひたすら書いていた篆書の束が出てきた。その線が生き生きしていること…。あの時はものすごい量の臨書をしていたからか、熱量の高い線だった。そして、上の画像と比べてもはるかに技術が高い。かつての自分を羨ましく思い、ソウルに戻ったら篆書にじっくり取り組みたい!と心に誓ってから、数か月。ほんとに誓ったのかな?という月日が流れてしまいましたが、どんどん書き進めています。楽しい。書きながら、師匠が何を伝えたかったのか考えています。

こちらは書道教室用に書いている王羲之・集字聖教序

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